映画、小説

羅生門、鼻、芋粥など  芥川 龍之介

文章の練習用に読んだ。

物語の心情描写がこまかく丁寧で、人間の感情の洞察、表現方法が緻密かつ多彩である。

〇羅生門の抜粋(オープニング)

 ある日の暮れ方のことである。一人の下人が、羅生門の前で雨やみを待っていた。広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗りの剥げた、大きな円柱に、きりぎりすが一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。

→このくだりだけで、暗澹たる気持ち、この先への不安、下人の置かれた環境、さびれた街の風景が見えるようだ。

〇羅生門の神表現

下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時は呼吸をするのさえ忘れていた。

→心情は単発の単純なものではない。恐怖60%、好奇心40%というように、心情の重なりを数字で割合表示する斬新な表現手法。

二人は死骸の中で、暫く、無言のまま、つかみ合った。

→普段ではありえないとんでもない状況。

これらのように、文章の表現は無駄がなく、それでいてイメージしやすい。

作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。

下人は、手段を選ばないことを肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来るべき「盗人になるよりほかに仕方がない」ということを、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。

風は門の柱と柱の間を、夕闇とともに遠慮なく、吹きぬける。

楼の上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頬をぬらしている。

やっと急な梯子を、一番上の段まで這うようにして上りつめた。

しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻を覆うことを忘れていた。

まるで石弓にでも弾かれたように、とび上がった。

眼を、眼玉が瞼の外に出そうになるほど、見開いて、

今までけわしく燃えていた憎悪の心を、いつの間に冷ましてしまった。

「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘にしようと思うたのじゃ」

〇羅生門のプロット

おそらくメインプロットは、人間の中の善と悪は簡単に入れ替わってしまうことだろう。

下人の餓死の可能性をもたせ、だからと言って盗人にはなれない。しかし、老婆を見ることで正義感からくる怒りに燃えたが、しまいには老婆の服を盗んでしまう矛盾がこのストーリーの肝ではないだろうか。

その場面設定が夕暮れ時、雨、さびれた街といった完璧な舞台としており、物語に非常にマッチしている。

〇芋粥の抜粋

京童にさえ「何じゃ。この赤鼻めが」と、罵られている彼である。色のさめた水干に、指貫をつけて、飼い主のないむく犬のように、朱雀大路をうろついて歩く、憐れむべき、孤独な夜である。しかし、同時にまた、芋粥に飽きたいという欲望を、ただ一人大事に守っていた、幸福な彼である。

→願いがかなわず、その願いを追い続けているのが実は一番幸せといった、深い心情描写。人が気づかない価値観。

〇まとめ

文章表現の技巧、プロットの繊細さ、場面のチョイス感、セリフ。どれをとっても一級品だと思う。

模写も実施してみたが、文章表現は学ぶところが多い。今後に生かしていきたい。

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